Desire*desirE #8 死が二人を分かつとも

「今年は桜の季節が長いな」
 私の言葉に、少年マジシャンは背伸びして窓の外を覗いた。
 今は5月の終わり。たまに風に揺らぐものの、桜はまだ散る気配を見せない。
「んー……。キレイでいいと思うんだけど、確かにおかしいねえ」
 窓から離れ、ソファーにいる私の隣にちょこんと座る彼は、贔屓目なしでも愛らしい。
「桜って、もっと早くに散っちゃうよね?」
「散るなあ」
 私の返事に恋人は、でもまあいっかあ、と答えた。
「お花見、ていうのしてみたかったし、ちょうどいいかなー」
「ん、ミスティルやブリジットと一緒に行くのか」
 私が彼の母親たちの名前を挙げると、アルトは不満そうにむっ、と声を上げた。
「違いまーす。キミとですー」
 私は窓の外を見やる。天気は晴れ、雲もない。時刻は正午前。
「……今からランチがてら行くか」
「うんっ!」
 私の提案に、少年はにっこりと笑って元気よく返事をした。


 軽食を作り、ピクニックバスケットに詰め込んで、桜の近くのベンチに向かう。
 お花見などとうの昔に済ませたのか、はたまたそんなことはどうでもいいほど仕事が忙しいのか、桜の方に目を向ける者はいない。
「キレイなのに、みんな見ないのもったいないなー」
 アルトがぼやきながら、頭上の桜を見上げた。
「みな忙しいのだろう」
 私はバスケットから軽食や飲み物などを取り出す。このバスケットは思った以上に優れもので、マナの力で保温してくれる。どういう仕組みなのか私には判らないし、理解しようとも思わないが、便利なことは便利だ。
 ローストビーフと幾ばくかの野菜を挟んだサンドウィッチに、シロマアイスティー。デザートにはうさぎに剥いたリンゴ。育ち盛りの彼にとって腹が満たせるものではないかもしれないが、まあ、格好はついた。
 それを見て、アルトが口を開く。
「いつも思うけど」
 ベンチの上に広げたランチボックスをつついて、彼は微笑んだ。
「すごくキレイにごはん作るね」
「そうか?」
 私の問いに、彼はうん、と答える。
「食べるのもったいないくらいにキレイだよ」
「……まあ、食べるの好きだし」
 それに、『彼』の作ってくれた食事に近づけたいから。
 そんなことは言えず、ぐっと飲み込んで、私は小さな恋人にサンドウィッチを渡す。
「食べよう」
「うん。いただきまーす」
「いただきます」
 嬉しそうにはむはむと食べ進めていく目の前の少年を見て、私もサンドウィッチを口にした。かつての恋人が作ってくれたサンドウィッチには遠く及ばないが、それでもだいぶまともな味にはなった。そして、見た目も。
『味がおいしいのも勿論重要だけどさ。やっぱ、見た目でもおいしいって思いたいじゃん?』
 『彼』はそんな風によく言っていたな。
 思いにふけり、ボーッとしていると、
「ルアム。口にソースついてる」
 アルトの顔が近づいて、私の唇の端っこを少し吸った。 しばらくの思考停止の後、視界が赤く染まるのではないかと思うくらい顔が熱くなって、いたたまれなくなった私は立ち上がってアルトを叱責する。
「お前はっ。すぐそういうことをするっ。天下の往来だぞ、人が見ているだろうがっ」
 この人懐っこい少年は、きょとんとした顔でしばし考えてから、けらけらと笑い出した。
「だあれも見てないよー」
 そういうことではないだろうが。
 いたたまれないままの私は少し周りを確認してから、ベンチに腰掛けた。そして、食事を再開する。
「もーいっこ、もらうねー」
 彼はランチボックス内のサンドウィッチに手を伸ばし、かぷり、と頬張った。
「ん、おいしー!」
 サンドウィッチに丸く開いた形を見て、きれいな歯型だな、と思う。
 そんなものにまで目が行くとか、我ながらおかしい。恋をするって、こんなことだったか。
 私の視線に気づいたのだろう。アルトは上目遣いでこちらを見て恥ずかしそうに笑い、その笑いのまま、手に持っているサンドウィッチを私に差し出した。
「あーん」
「全部同じものだが」
 私が言うと、彼は少し頬を染めた。
 ああ、そういうことか。
 思って、サンドウィッチの、彼の食べた部分を食んだ。
 アルトの口元が嬉しそうにほころび、私が口にした部分からまた食べ進めた。
 あっという間に平らげた彼は、リンゴに手を伸ばす。
「うさぎさんだっ。かわいー」
 言いながらも容赦なく食べるこの少年は、かわいいものは食べちゃいたいと思う分類なんだろうか。
 しかし……
「さっきから花より団子じゃないか」
 私が言うと、彼はリンゴを頬張りながらえへへへへ……と申し訳なさそうに笑う。
「おいしくて、つい」
「それは良かった」
 ランチボックスを見ると、サンドウィッチはいつの間にか残り一つになっていた。たんまり作ってきたと思ったのだが、この子は足りたのだろうか。
「アルト。足りたのか?」
「ん。まだお腹すいてる」
 私は最後の一個を見せて、アルトに口を開けるように促した。すると彼は嬉しそうに微笑んでから、それにかぶりついた。
 私は面白くなって、小動物に餌付けするかのように、そのまま彼に食べさせていった。最後の一口を食べさせたところで引っ込めようとしたが、それより素早く動いたアルトの手が私の手を掴んで、ソースがついた指先を口に含む。
 こんな恥ずかしいところを、衆目に晒す気はない。
 抵抗しようと指先を動かすと、彼の舌を刺激したらしい。アルトが少し身動ぎして、色のある吐息を漏らす。
「んっ……」
「へ、変な声を出すなっ」
 彼が口を少し開いた隙に、指を素早く抜いて、私は少しだけアルトから離れた。まったく、油断も隙もない。
「桜見るー」
 離れたのを察したのだろう。彼はそう言いつつ、私の膝を枕にしてころん、と横になった。
 ランチボックスを片付けた私は、濡れたタオルで自分の手を拭いて、彼を撫でた。


 さやさやと風が吹くたびに、桜の花が舞い、地面に落ちる。
 きっとそろそろ桜の季節も終わりだ。
「キレイだね」
 私の膝を枕にしたまま、アルトが呟く。
「ああ」
 私は彼を撫でながら答えた。
 その瞬間、彼の紫の髪に、ふわりと花びらが落ちる。
 本当にキレイだ。この子の髪色に合う。
「ああ、って……桜見てないよね?」
「お前がキレイだ」
 漏れてしまった言葉にハッとして、私は彼を撫でるのをやめて視線を外した。
 しまったな。口説くつもりはなかったんだが。
 ちらりと彼を見ると、どうだろう。いつもはグイグイ迫ってくる彼が、耳まで真っ赤にして硬直している。
「あ、あの……?」
「あー……」
 気まずくなって、私は必死で言い訳を考える。これはなにか言わないとまずい気がする。
 しかし、アルトは口元を……表現的には変と判っているが、そう言う言い方がぴったりだ……嬉しそうに歪ませて、ジタバタと身動ぎを始めた。
「っあー! ズルい! ルアムはズルい!」
 あまりに暴れるものだからベンチから落ちそうになる彼をキャッチして、なにがズルいんだ、と尋ねる。するとアルトは、恥ずかしそうに目を逸らしてポツリと言った。
「そーゆー、とこ」
 彼はそっと私から離れ、桜の木の下に立った。
「ねぇ、ルアム。もし、オレがいなくなっても」
 彼が問う。
「オレのこと、覚えていてね」
 そしてその場でマントを払った。なびいたそれが、そばの桜の花びらを宙に舞い上がらせる。と同時に、つむじ風が起こって、舞った花でアルトが霞んだ。
 瞬間、私は彼と『彼』が重なって見えた。
「!」
 急いで立ち上がり、花の嵐の中からアルトの実体を探す。腕らしいものを掴めた。そのまま抱き寄せる。花嵐は止み、アルトが腕の中に残った。
「やめろ……」
「……ルアム?」
「連れていくな……」
 震える唇で、私は何度も懇願する。
「私の生きがいなんだ」
 胸が痛い。
「この子まで取らないでくれ」
 喉が乾く。
 震えが止まらない手は、すでに冷たくなり過ぎて感覚がない。
 脚だって、今すぐくず落ちないのが不思議なくらいには力の入れ方が判らない。
 頭の中は真っ白で、ただただ目の前の存在がいなくならないことを願っている。
「大丈夫だよ」
 彼はそう言って、私の背中をさする。暖かい手が、凍ったような時間すら溶かしてくれるようだ、と思う。
「死が二人を分かつまで、て言うけど」
 暖かい手は、今度は私の頬を撫でた。
「死が二人を分かつとも」
 小さな恋人は笑う。消え入りそうな笑顔で。
「オレは、キミのことを忘れない」
 さ、帰ろう。
 少年マジシャンはそう言って私をいざなう。私はそれに応じて、彼の手を取った。
 その途端、アルトがくしゃみをして少し震える。
「ちょっと寒かったかも!」
「桜が咲き続けるような気候だからな」
「もっとあったかい時期にお花見しよ」
「それじゃあ葉桜になってるぞ」
「ええー」
 そんな話をしながら帰る道は、少し寂しくて、でも幸せだった。


 しかし。
 その日以降、アルトが私を訪ねてくることはなかった。