Desire*desirE #7 キミと同じ方法で

「……」
 合鍵を使って入ってきた少年マジシャンは浮かない顔だった。
「……どうした?」
 あまりの表情に、私が思わず尋ねると、彼はその顔のまま「ひどい」と一言。
「おそとで、もなんしゃーくさん見かけたの。覚えてる? あのねこさん」
 ああ、あのクソドラ猫。
 おおかた、名前を忘れられていたとか、そんな感じだろう。だってあいつだし。
 ところが、アルトの言葉は予想の斜め上だった。
「にんじん、おいしそうに食べてた」
「はい?」
「オレ、にんじん食べれないのに。ねこさんあんな小さい子なのに食べれるんだって思って、話しかけたの」
 あっそれいけないやつだ。
 思いながら、私は頷く。
「そしたら、にゃはははは、て笑われて。アルトさんもいつかにんじんのおいしさがわかる日が来ますにゃあ、て」
 アルトは頬を膨らませて訴える。
「ひどい! だってオレ、あんなののおいしさわかんないもん! オレも! 食べれるように! なりたい!」
 よく判らないが、判った。
「つまり、自分が子ども扱いされたと思ったのだろう?」
 私の問いかけに、アルトはそう、と答える。
「たぶんオレの方が年上だもん! 子ども扱いはやだ!」
 この、一見少年に見えるマジシャンは、見た目こそせいぜいローティーン程度だが、実年齢は17歳だ。彼はそれをひどく気にしていて、子ども扱いされることを好まない。それを知らずに子ども扱いしたもなんしゃーくに罪はないが、まあ、アルトにしてみればたまったものじゃなかったのだろう。気持ちは察する。あまりあるほど。
「ルアム! にんじん! おいしいにんじん作って!」
「私は鍛治師だ。農家じゃないぞ」
「じゃあ、にんじんのお料理! おいしいやつ!」
 それを言われて、ふと思い浮かんだレシピがいくつもあった。
 確かにどれもおいしいものだし、私もにんじんを完全に克服した料理類がそれだ。彼のにんじん嫌いを改めさせる自信だってある。
 ただ、このレシピは……。
「……どうしても、にんじんを克服したいか?」
 私は彼に問うた。
 彼は真剣な目で私を見る。
「したい」
 そこまで言うのだったら、なにも言うまい。
 私は、家にあるニンジンを総動員して、にんじんのフルコースを作ることにした。


 テーブルにずらりと並んだ料理を見て、アルトが小さな悲鳴をあげたのはたぶん聞き間違いではないだろう。目の前のテーブルに並べたのは、にんじんのポタージュ、にんじんのスティックサラダ、キャロットラペのサンドウィッチ、にんじんをたっぷり入れたハンバーグに、にんじんのグラッセ。嫌いなもののフルコースだ。あまり嬉しくはないどころか、できれば逃げ出したいと思うだろう。克服する前、私だって思っていた。
「食べられそうなものから食べてみるといい」
「んん……。おにく、か、スープ、かな。いただきます」
 彼はそう言って、ハンバーグに恐る恐るナイフを入れた。じわっと溢れる肉汁。うん、今日のハンバーグは上手くいっている。満足する私をよそに、少年は涙目になりながら意を決して肉の破片を口に放った。
「……あれ?」
 何回か咀嚼して、彼は首を傾げ、もう一度あれ?と言う。
「食べれる。っていうか、おいしー……」
 おいしい、という言葉とは裏腹に、釈然としない面持ちで食事を続けるアルト。
「これなら……食べれる、なあ」
 ふむ。まずは先入観を取っ払えたか。
「次は……スープ食べてみようかな」
「食べられないものがあったら、無理せず残せ。私が食べるからな」
 うん、と言いながら、彼はスープを食べ始めた。
「あっ! これすごくおいしー。好きな味!」
 スープをガツガツ食べる人間、初めて見た。アマツではスープは飲むものらしいし、まあ、考えようによってはこれは液体だから、こんなにガツガツいけるようにはできてないはずなんだが……。まあいい。
 スープ皿を空っぽにして、アルトはえへへへへ、と笑う。
「これ……おかわりある?」
 申し訳なさそうに上目遣いで訊く少年は、本当にズルい子だと思う。
「いいぞ。用意しよう」
 火照った顔を悟られないよう、素早くスープ皿を手に取ってスープをよそいに席を立つ。かまどに載せたままの鍋からスープをすくうとまだほんのり温かかった。
 なるべく顔を合わせないようにして、彼の前にスープ皿を置き、もう一度席に着いた。
「……私も食べようかな」
 匂いを嗅いでいたらお腹が空いた。自分用に作っておいたニンジン入りハンバーグにナイフを入れる。
 ふむ。焦がしてしまった割には美味しそうな肉汁が出るな。私の料理の腕も少しは上がったのかもしれない。
 目の前の少年マジシャンは、おかわりのスープを早々に平らげ、サンドウィッチに手を伸ばしているところだった。まだ胃に余裕があるようで安心した。姿こそローティーンだが、食欲は実年齢並みなんだろう。食べたものがどこに消えるのか、それが謎だが。
 はむ、と音をさせてサンドウィッチにかぶりつくアルト。その途端、泣きそうな顔になって、彼はサンドウィッチを皿に置いた。
「これは……むり」
「そうか」
 口の中に入れた分をなんとか嚥下しようとしているのだろうが、口を動かす回数が多い。彼は大きな目から涙をこぼして、口の中のものを水で無理矢理流し込んだ。
「もっかいハンバーグ食べる……」
 口直しのために残しておいたのだろう。ハンバーグを口に運び、彼は安堵のため息をついた。
「ハンバーグおいしいなー。このソースもいいよね」
「美味いだろう? それはアマツの伝統的な調味料を使っているんだ」
 アルトはハンバーグを食べながら頷いた。
「どんな調味料なの?」
「大豆と塩でできてるらしい。向こうの人たちは変な人たちだぞ。大豆が好きすぎる。大豆の調味料を溶かしたスープの中に大豆で出来た食品を入れて食べるらしいぞ」
 アルトがケラケラと笑う。
「なあにそれー。結局大豆しか食べてないじゃん!」
「だろう? すごいよ、彼らは」
 私もつられて大笑いすると、アルトが顔を崩した。
「ルアムってそーゆー風に笑うんだー」
 目を細めてにんまりと笑う彼の視線が少し居心地悪くて、私は笑うのをやめて彼から視線を外す。
「顔の筋肉ない人なのかと思ってた」
 その言い方に少し戸惑って視線を戻し、私は彼に問う。
「な、なんだそれ。私はそんなに無表情か?」
「というより、感情を表に出さない人、かなあ……。なんかさ、オレに感情見せたくないのかなって」
 まあ、当たりだな。
「私は元来子どもっぽい性格だ。だが、お前よりだいぶ歳が上だし、大人として振る舞いたいんだよ」
「あっ。またそーゆーこと言う! オレはね、無理にとりつくろったルアムなんか見たくないの。別にキミに大人っぽさとか、求めてないし」
 アルトはハンバーグを、ちょっと乱暴に口に頬張る。
「だから、この前ねこさんに嫉妬してくれて、すっごく嬉しかったんだけどなー」
 身体が熱い。喉が乾く。
「それは」
 訊いたら、喉の渇きが癒せる気がして、私は問いかけた。
「ありのままの私でいい、ということなのか?」
 アルトはカトラリーを置いて、そうだよ、と答える。
「別に大人っぽいところを好きになったわけじゃないし。自分を抑えたふるまいかたはしないでほしいな。オレ、そーゆーキミをみてるのはつらいよ」
 私は少し考えて、フォークを手に取った。それでにんじんのグラッセを突き刺し、アルトのほうに伸ばす。
「……こういうことをしたい、とか思っている私も、受け入れてくれるのか?」
 アルトの口元が嬉しそうに緩んで、頬が赤く染まった。彼は元気よくうん!と言うと、私が差し出したグラッセを頬張る。
 この前よりもさらに甘くした。食べられるといいが。
 にこにこした顔のまま、アルトはグラッセを飲み込んだ。そして、
「これ、この前のよりおいしい!」
 と言って、口を開ける。
 ひな鳥のようだが、愛らしいのに変わりはない。もう一回、グラッセを彼の口に運ぶ。
 幸せそうに口を動かす彼を見て、グラッセの味を知りたくなり、私も一つ口に入れた。自分には少々甘すぎるが、にんじんに慣れていないなら、この程度から始めたほうがいいのだろう。
 などと自己解析しているときに、彼からの視線に気がついた。
「なんだ?」
 私が問うと、アルトが笑って首を傾ぐ。
「間接キスだね」
 頭から湯気が出るのではないかと思うくらい、顔全体が赤くなったのが判った。
 しかし、ペースに乗せられるのは少しシャクに触る。私は意地悪く言うことにした。
「この前、お前は私のことを『うさぎさん』だと言ったが」
 アルトがうん、と相槌を打つ。
「本当に『うさぎさん』なのはお前では?」
 意味が通じたのだろう。耳まで赤くなった恋人は、えへへ、と笑う。
 だが、彼には勝てない、と私は思い知ることになる。
「だから、少しでもにんじん食べれるようになったら、『ごほうび』。ね?」
 その言葉を受けて硬直した私をよそに、彼はにんじんのスティックサラダを食べようと手に取った。それ用に用意したディップをつけ、意を決して口に入れる。
「んー。にんじん自体はおいしくないけど、歯ごたえは好きだし、ディップは合うなあ。おいしー」
 そうやって何本か食べてから、アルトはもう一度ハンバーグの最後の一口を食べ、ごちそうさま、とカトラリーを置いた。
「んー。まだお腹すいてるなー」
「……ごほうびにデザートを用意してある。パウンドケーキだが、食べるか?」
「! たべる!」
 私は焼いておいたケーキを切り分け、たっぷりの生クリームを添えて、アルトの前に置いた。ふとアルトの顔を見ると、キラキラと輝いている。
「食べていいぞ」
「いただきますっ」
 スープの時みたいにガツガツと頬張るアルトを見ていて、ああ、ちょっとかわいそうなことをした、と罪悪感が湧いてきた。
「ふわぁ。おいしいなー!」
 ああ、これ。
 知らぬが仏、と言うやつかもしれない……。
「ごちそうさまー! このケーキ、すっごくおいしかったー!」
 アルトはそう言って、にこりと笑う。
「にんじん入りでも、おいしいものはおいしいよね」
 ……知ってて食べたのか。
 私の顔を見て、アルトが少し焦って付け足した。
「あっ、その、あのね、オレが気づいたわけじゃなくて」
 彼はそう言ってから、かなり気まずそうにした。
「……あるアークビショップさんとお友達になって……。その、聞いたんだ。いろいろ。ルアムが昔、にんじん食べれなかったこととか、『彼』のこととかも。その、いろいろ……」
 アークビショップとは、リノのことだろう。
 アルトは続ける。
「これ、『彼』がルアムに出した料理だよね」
 私は息を吐いた。やはり、やらなければよかった。そんな気持ちが、私の中をぐるぐると回る。
 しかし、アルトは笑って続ける。
「別に怒ってないよ。むしろうれしい。だって、その時のルアムに会えた気がしたから」
 こうやってさ。
 アルトは慈しむような目で、料理を見た。
「その思い出をキミの中で終わりにしないで、オレに引き継がせてくれたのが、すごくうれしい」
「私は……」
 アルトが首を振る。
「言ったでしょ。彼がいたから、彼との思い出があったから、今のキミなの。オレの好きな『今のキミ』なの。それは本心からそう思ってる」
 だから。
 彼はそう言って立ち上がり、顔を近づけた。
「その顔ナシにしよ。悪かったと思ってるんなら、ちゃんとごほうびちょうだい。ちなみにオレは、いやなことされたとは思ってません!」
 それよりも。
「オレは、ルアムと同じ方法でにんじん少し好きになれたことがうれしいかな」
 その言葉にすごく救われた気がした。
 私は立ち上がってアルトのそばに行き、小さな身体を抱きしめた。温かくて柔らかくて、愛しいと心の底から思う。
「にんじん、少し好きになれたか」
「あのディップつけたら、また生で食べられそう。あれすごくおいしい。レシピ教えて。おうちでママたちと一緒につくる」
「ああ、教える」
 私の胸の辺りの高さにある彼の頭をそっと撫でる。アルトはそれを、気持ちよさそうに受け入れた。
「ところで、ごほうび」
 アルトがねだる。
 本当に、この子には敵わない。
「判った」

 私は彼に寝室に行くように促した。
 彼が寝室に入ったのを確認し、食べさしのものを保存して……
 私も寝室に入り、ドアの鍵をかけた。