Desire*desirE #2 一つだけ、訊いてもいい?

 ある日、一仕事終えて帰ってくると、私が借りている部屋の前にいるはずのない人物がいた。
「……きちゃった」
「……アルト」
 部屋の鍵を開け、家の中に入る。
 締め出すのはさすがにかわいそうに思い、私を訪ねてきた幼いマジシャンを部屋に招いた。
「なぜ来た」
 寝室にいろいろなものを放り投げる私を追いかけて、アルトは寝室に入る。
「まだ、嫌いって言われてない」
 言えるはずもないことを、この子は知らない。そして、私は、言うつもりもない。
 だが、いささか頭にきた私は、少し八つ当たり気味に彼に言い放つ。それが彼を傷つける言葉だと分かっていて。
「友人に嫌いとは言えない」
 案の定、その言葉を浴びて、アルトの顔は苦痛にゆがんだ。言ってしまえば少しはすっきりするかと思っていたが、その顔を見て、私のちっぽけな良心が痛む。
 ああ、言わなければよかった。そんなことを思う私に、この少年は特大級の言葉の爆弾を投げた。
「オレはこんなにルアムのことが好きなのに」
 『好き』。
 その言葉がどんなに私を苦しめているか、この少年は知らないのだろうな。
 この身勝手な言葉に、完全に頭にきた私は、彼を抱き上げてベッドに投げた。
「えっ……」
 驚いて身を起こそうとする少年に、私はそのまま覆いかぶさる。
 細い手首を握り、少しだけ力を入れる。
「無防備に他人の寝室に入り、挙句、寝室の主に愛を囁くのかお前は」
 友人の息子だ。
 彼女が目に入れても痛くないほど溺愛している少年だ。
「知っているか? 恋人同士がベッドの上でどんなことをするのか」
 私を慕ってくれた子だ。
 やわらかい笑いをする子だ。
 だが、今はどうだろう。その顔は恐怖に青ざめて、唇は違う、と声にならない声を上げ続けている。
「二度と会うなという約束を破った上に、私を挑発するその態度が、気に食わない」
 彼のように、愚直に愛を紡げれば、それはどんなに素敵なことだろう。
 だが、私にはそれはできない。世間体を気にするとか、そんなことではない。
 アルトには、義理の母親であるミスティルと出会う前の記憶がない。期間限定の母親になるかもしれないことを承知のうえで、ミスティルたちは彼を養子として迎え入れた。
 記憶が戻れば、本当の家族が分かれば、きっとミスティルとの親子関係ですら終わる。
 いま私のことを慕ってくれているアルトは、明日にはいないかもしれない。記憶が戻っても、私のことを好いてくれる保証はないし、まして私はアルトの二倍生きている。なんの刷り込みかは知らないが、私のことを好いてくれるアルトはいつか私に目もくれなくなるに違いない。アルトは私の目の前から消えてしまうかもしれない儚い存在であって、それ以上でも以下でもない。
 これだけ慕ってくれれば、情も沸いてくる。その情が愛情に代わっても、なんら不思議ではない。現に私の感情は、そうやって沸いたものだ。
 しかし、その愛情を隠す道を、私は選んだ。この少年を失って、自分が傷つきたくないという、臆病で卑怯で自分勝手な思いが私をそうさせた。
 それなのに、この少年から迫られただけで、私は大人げなくイラついている。こんな自分は、なんて狭量で醜いのだろう。
 怒りに身を任せ、彼の手首を握った手に、さらに力を込めた。
 細い手首だ。私がその気になれば、きっと簡単にへし折れる。
「そんなに私のことが好きなのなら」
 私の口は、私が望んでいない言葉を勝手に紡ぎ始める。
「一から教えてやろうか? 私がどんな男か」
「違う……違うんだ……。ごめんなさい……怖いよ……ごめんなさい……」
 絶望したようなアルトの顔に、ようやく少し冷静になれた私は、一息大きく吐いて、ベッドから離れた。布の擦れた音がして、少年がベッドから離れた気配がした。
「……もう一度だけ、約束しよう。二度と私に会いに来るな。次はない」
 彼のほうを見ないまま、私は吐き捨てる。
 ドアのほうに移動した気配は、ぽつり、と呟いた。
「一つだけ、訊いてもいい?」
「最後だ。答えよう」
「オレのことを、恋愛感情を向ける相手として、見れる?」
 この子は、私のことは理解しないのだろう。理解できるほど、大人ではないのかもしれない。
 私は彼のほうを見て、精一杯意地悪な笑みを浮かべた。
 そして、微妙にズレた答えを返す。
「妄想の中で、何度もお前を抱いたよ。無理矢理な」
「……」
 嫌ってくれ、どうか。
「嫌がるお前もかわいいと思った」
 これで終いだ。
「実際のお前は、どんな感じなんだろうな」
 私もお前を忘れるから。
「最後に味見くらいしておけばよかったか」
 お前も私を忘れろ、後生だから。
「……帰る」
 絞り出すように口にしたアルトは、振り返らず、部屋を出て行った。
 残された私は、ふらふらと壁に寄りかかって、そのままくずおちる。大きなため息は、反響して部屋に響く。
 このことは、きっとミスティルも知るだろう。そうしたら、彼女との友人関係も終わる。
 私はぼーっとした頭のまま、アークビショップの友人を訪ねることにした。


「あれ、ルアムじゃないですか。お久しぶりです!」
 明るい笑顔のアークビショップは、いつも通りの、フリルがいっぱいなスカートを翻して私を迎え入れた。
「言いつけ守って、お肉は持ち歩いてませんよ! えっへん!」
 彼女は胸を張り、小鹿の耳を誇らしげに動かした。非力なくせに、非常食だと言って肉を隠し持って冒険に出かけては、私に怒られて取り上げられたことを言っているのだろう。第一、アークビショップのスキルにヒールがあるのだから、肉なんて邪魔なだけなのに、なかなか学習しなかった彼女が悪い。
「と、ボクの近況報告はここまでにしましょう。なんか、死にそうな顔してますよ。大丈夫ですか?」
 ああ、そんな顔をしているのか。なんだか笑えるな。
 そうは思ったものの、笑い飛ばせる元気はなかった。
「……リノさまに懺悔しに来ました」
 やっとのことでそう言った私に、彼女はうーん、と頭を抱えた。
「ボク、懺悔聞ける役職じゃないんですよねー。どーしてもボクがいい?」
 その言葉に頷いて見せると、彼女は手をぽむん、と打った。
「じゃあ、こうしましょう。ルアムが今から言うのは、懺悔じゃないです。愚痴。友人のボクに愚痴を言う。それだけ。OK?」
 彼女は機転が利くから、こういう時に本当に助かる。私は息を吐いて、話そうと口を開く。
「あっ、ダメダメ。ここでは駄目です。酒場にでも行きましょう。それなら世間話。ね?」
 彼女はそう言って、私を酒場へいざなった。
 最低限の注文を済ませ、品物を受け取ると、彼女は端っこの席をキープした。
「じゃあ、話を聞きましょうか」
「……大切な人を、傷つけました。いずれ失う愛情なら、自分で終わりにしたかったんです」
 私の言葉に、彼女はなにも言わず、笑顔を崩すこともなかった。
 それがただただありがたくて、私は話し続ける。
「その言葉を口にすれば、あの子が嫌ってくれると思って……傷つけるのを判っていて、言いました。私は愚かな男です」
 リノはただ、動作だけの相槌を打つ。慈悲に満ちた微笑みを崩さぬまま。
「私は、私が傷つきたくないあまりに、あの子を傷つけた。あんなに慕ってくれていたのに、あんなに笑いかけてくれたのに、きっともう、あの笑顔は私には向けられない」
 そこまで言って、私はまだ自分のことだけを考えていることに気がついた。
 思わず、乾いた笑いが漏れた。自分のことを軽蔑するための笑いは、なぜか止まらなかった。
「なんでこんな男を、あの子は好きだといってくれたんでしょうね。私は自分のことしか考えられないのに」
 そこまで聴いたリノは、口を開く。
「自分のことを一番大事にしない人は、他人を大事にできないと、ボクは教わりました」
 彼女は目を細めて、首をかしげた。
「だってそうでしょう? 自分がいるから、他人のことを思いやる心を持っていられるのだし。それはそれとして、傷つくのは誰だって怖いし、ならいっそ自分のタイミングで終わらせたいという気持ちは判らないでもないですね」
 ルアムの悪かったところはね。彼女が諭すように言う。
「その人を信じ切れなかったことなんじゃないかなぁ」
 リノがそう言いながらジュースを少し飲んだ。酒は大好きだが、自分は聖職者だから飲まない、と彼女は以前言っていた。
「その人、いつか嫌いになるかもしれないって、ルアムに言いました? 言ってないでしょう」
「言うわけないでしょう。あの子はいま、周りが見えてない」
 周りが見えてない、かぁ。
「周りが見えないくらい恋ができるのって、すっごい稀だと思いますけどね。それから醒めるのって、相手がよっぽどなんかしでかさないとじゃないかなぁ」
「じゃあ、私はよっぽどしでかしたんですね」
「言いたくないならいいですけど、具体的になに言いました?」
 彼女の問いに、私は喉を詰まらせた。言えるかこんなこと。
 私の様子を見て、なにかを察したらしい彼女は、じゃあ質問を変えましょう、と言った。
「その人はなんて言ってました?」
 それなら答えても差し支えない。私は答えた。
「帰る、と」
 しばし考えて、リノはそれ、と口にした。
「醒めた人の言うセリフでは……ないような気がするなぁ」
 考えながら、彼女はゆっくりと話す。
「ルアムはなにを言ったか、ボクに言えなかった」
 よっぽどひどい言葉だったのかなって思いますけど、まぁそれは置いといて。
 彼女はジェスチャーつきで話を置いてから続ける。
「ボクだったら、の話になりますけど、幻滅したのなら罵声の一つや二つ飛ばしますね。さっきあなたも言ったけど、人間なんてみんな自分が可愛いもんですよ。それが急に裏切られたら、なにかしら言ってやりたいのが人間の心理ってもんじゃないですかね」
 ボクだったら言う。間違いなく言う。聖職者が言っちゃいけない単語言うと思う。
 そう呟いた彼女に、黒いオーラが見えて、私は少しだけ身の危険を感じた。
「でもその人は、帰る、とだけ言ったんですよね? そんな風に言える人って、よっぽどの聖人か、逆にすべてを諦めている人か、はたまたあなたに幻滅なんかしてないかのどれかですよ」
「聖人なのかもしれませんね、あの子は」
 あっ、そんなことを言うー。
 リノはそう言って、コップに刺さっているオレンジをつついた。
「よっぽど高名なアークビショップでも、聖人なんてそうはいませんよ。ボクなんか見てみなさい。食欲に負けてアイス持ち歩いてますよ。ま、ボクは駆け出しですけど!」
「……肉からアイスになったのか……重量的には進歩したと言え……るか……?」
 えっへん!
 ない胸を張った彼女は、満足したのか、ジュースと一緒に頼んだ軽食をつまみ始めた。
「ボクのオススメ選択肢は一番最後のやつですね。ずばり、その人は『あなたに幻滅してない』」
 美味しそうに軽食をほおばりながら、彼女は人差し指を私に見せる。
「あなたが意固地だから、いったん帰っただけじゃないですかねー。なんかそんな反応に見えるけどなー」
「次に会えたとして、私はどんな反応をすればいいのか判らないですよ」
 私がごちると、リノは平然と言ってのけた。
「ベッドインでもしちゃえば?」
「はっ?」
 私の反応を見て、彼女は聖職者らしからぬ、企んだ笑みを浮かべた。
「あなたとの付き合い長いですし、お相手が誰なのかとか、どーゆー言葉放ったのかとか、だいたい察してますよ。どーせあの少年マジシャンに、卑猥なことでも言ったのでしょう」
 図星を突かれて、私は言葉を失った。再び、アクダイカンのような笑みを浮かべた友人は、心底楽しそうに提案する。
「そんなこと言われてもなお会いに来るようだったら、それはもう、据え膳食わぬは、ってやつですよ。押し倒しちゃえ!」
「他人事だと思ってません? 思ってますよね?」
 私の、懇願にも似た問いに、彼女はコロコロと笑い声を上げながら言う。
「思ってるけど思ってませーん。すみませーん、ジュースお替りー! あと、今度はお肉くださーい!」
 カウンターから二つを受け取った彼女は、再び席について、私の肩を叩く。
「まぁ、今日は飲みましょうか! 今度は素直になるんじゃよ、迷える青年よ!」
「次があればの話でしょう……。あと私、リノさまより9歳年上です」
 私がグラスの酒を少し舐めると、肉を切らないままほおばったリノが豪快に笑う。もしかして彼女は、アークビショップではなく修羅を目指したほうが性格的に正しかったのではないだろうか。
「次はすぐにきますよー。あの少年マジシャンはね、ルアムのことしか見えてないですよ文字通り。いじらしいくらいあなたのこと慕ってましたもんね。外野から見ててもわかるあむー!」
「ヒトの名前で遊ぶのやめてください……」

 次があれば。
 そんなことを思っているうちは私はこのままなのだろう。
 それほど得意ではない酒を飲みながら、私は決意した。
 自分から、会いに行く。