Desire*desirE #1 それでもキミが好き。

 いつからそういう関係だったのか、どうしてそうなったのか、もう忘れてしまった。
 そんなに重要なことではないし、多分それは私にとって、至極どうでもいいようなこと。もしくは、当然のことだったのかもしれない。
 気がつけば、『彼』は、私の前に一人で姿を現すようになっていた。


「こんにちわー!」
 武器を鋳造する手を止めて、私は入り口のほうを見た。
 満面の笑みを浮かべるマジシャンの少年は、私の姿を視認したのか利き手を大きく振り回した。
「アルト」
 部屋に入ろうとした少年の名を呼び、静止の合図とする。
「この部屋に入ってくるなと言っているだろう」
 私が言うと、叱られた子犬のような顔をした少年。私の友人のメカニック、ミスティルの息子だ。
「ママので慣れてるから平気だもん」
「平気じゃないのは私だ。気が散る」
 カートに道具をしまい、ドアに近づく。私の胸のあたりまでしかない頭が、うなだれてまた少し低くなった。私はその頭に、そっと手を置く。
「飯がまだだ。一緒にどうだ?」
「! 食べる!」
 先に鋳造部屋から出る私を、飛び跳ねながら追いかけてくる少年は、愛らしいとは思う。が、見ていないとなにかしでかしそうだ。私は目の端に彼を入れながら、リビングまで進むことにした。
「いい肉が手に入っている。ボンバーステーキでも食べるか?」
「お肉! 大好き!」
 ボンバーステーキなど作れるわけがないだろう。この子は私が提案するものならなんでもいいのではないだろうか。そんなことを思いながら、彼を椅子に座らせ、調理に入る。
 プロンテラはなんでも手に入るが、物価は高い。もっとも、商人たるもの、プロンテラで店を出せてやっと一人前だ。そんなぜいたくを言う前に、一人前になれたことを喜ばなくては。
 考えながら調理をしたら、少し焦がした。いい肉だったのにもったいない。この子が来るから奮発したのだと考えると、我ながら酔狂なとも思う。ただ、この小さな来訪者を、私は少なからず好いていた。
「ほら、焼けたぞ」
 テーブルに着いた少年の前に、焼いた肉を出した。私が座る側にも同じものを出し、カトラリーを用意し始める。
「……これ」
「なんだ?」
「オレの分のほうが大きい」
「よく食べて、大きくなれ」
 予備のカトラリーを探しつつ、私がそう答えると、不満そうな鼻息のあと、皿を取り換える音がした。
 この少年の齢は17。
 見た目は、ローティーンで止まっていた。


「ステータスカードがおかしいんだ」
 ミスティルはカップを手でいじりながら、ため息をついて私に漏らした。その左手には、結婚指輪が光っている。
「おかしいというのはなんだ」
 最近養子を迎えたというこの既婚者は、幸せたっぷりだろうに浮かない顔をしている。
「養子にした、って言ったじゃん。会わせただろ」
「あのかわいらしい少年マジシャンか。あの子が何か?」
「持ってたんだよ、あの子。ステータスカードを」
 冒険者アカデミーで登録を済ませれば、自分のステータスカードをもらえる。これは自分の状態などを逐一書き出してくれる優れもので、私たち冒険者はこれがあるからこそ安心して冒険できるのだ。
「マジシャンだろう。当然では?」
「いや、それはいいんだ。マジシャンなら、確かに持っていておかしくはないし。あの子は自分の名前すら忘れてたから、名前を知るのにも役に立った。でもね」
 ミスティルがもう一度、同じことを口にした。
「ステータスカードがおかしいんだ」
「おかしいというのはなんだ」
 私ももう一度訊き返す。肝心のことが聞けなければ、こちらからはなんとも言えない。別に個人のプライバシーを詮索するつもりもないが、彼女の聞いてほしそうな素振りに応えることとした。
「年齢さ。あの子、何歳に見えた?」
 数回、ミスティルと一緒に訪ねてきた人懐っこいマジシャンは、明らかにローティーンくらいにしか見えなかった。いや、もしかしたら、年齢が一桁でも通じるかもしれない。16歳のミスティルが大人っぽく見えるほど、彼が幼かったのは誰が見ても明らかだった。
「少なくとも、お前よりはだいぶ下に見えるな」
 だよね。彼女はそう言って、テーブルに突っ伏した。
「17って書いてあった。ボクより年上とか、全然見えないんだけど。ステータスカードってバグるのかなぁ……」
 自分の養子が自分より年上だったのがショックだったのかなんなのかは私にはわからないが、とりあえず、何かを言わなければならない気がした。
 考えに考え、私はこう言って会話を終了させることとした。
「お前にとって、彼がかわいい息子なら、それでいいだろう。別にお前たちの関係が変わるわけではないし」
 その言葉に少し安心したのだろう。ミスティルは顔を上げ、カップの紅茶を飲みほした。


「お肉おいしい!」
 目の前で肉の塊にかぶりつくアルトは、やはりどう見ても17歳には見えない。
「焦がしてしまってすまないな」
 私が謝罪すると、少年はきょとんとした顔の後、ふるふると首を振った。
「ルアムが焼いてくれたからおいしい!」
 おいしい、と言ってくれるならそれでいい。わざわざいい肉を手に入れた甲斐があるというものだ。
 その答えに心底満足した私は、肉をナイフで切り分けて口に運んだ。高かっただけあって、やはり旨い。焦げてなければもって旨かったのだろうが。
 付け合わせにと作っておいたにんじんのグラッセを口に運んでいると、目の前の少年が口を開けてこちらを見ていることに気が付いた。彼の皿を見ると、肉は綺麗に消えて、グラッセだけが残っている。グラッセは無残にも、何度かフォークで刺された跡があり、食べることをためらったのが見て取れた。
「グラッセは嫌いか」
「!」
 少年は、私の言葉に反応して小さく声を上げた後、ふるふると首を振る。そして、にんじんをフォークで突き刺すが、口に運ぼうとしてその愛らしい顔をゆがめた。
「嫌いなのはにんじんか」
「……うん」
 冒険するのに、にんじんに助けられることもある。食べられないのは、冒険者として致命的だろう。
「普段より甘めに作ってある。食べてみないか?」
「……ルアムがあーんってしてくれたら、食べる」
 こんなことを言うということは、普段、ミスティルが甘やかしているのだろう。あの夫婦……いや、同性婚だから二人とも女性だが……はいささか息子に甘い気がする。
 私は少しだけ戸惑ったが、あのカップルの教育方針に口出しするつもりもない。自分の皿から小さめのグラッセを選んで、彼の口元に差し出した。
「あーん」
「ん」
 嬉しそうに頬を染めてグラッセを食べた彼は、しかし一瞬にして顔色を青くした。やはり口には合わなかったのだろう。急いで水をあおって息を整える。
「……まずかったか」
「これはルアムが作ってくれたものでもおいしくない」
 その言葉は、自分でも意外なほど、私の胸に刺さった。私ががっかりしたのが分かったのだろう。アルトは大慌てで両手を振る。
「ルアムが作ってくれたものだったから、おいしくなかったけど食べれた!」
「そうか」
 私は頷いて、一切れ残っていた肉を口元に運んだ。
 それを口に入れようとしたところで、羨ましそうに見る視線に気づき、息を吐く。
「足りなかったのだろう」
「えへへ」
 申し訳なさそうに笑う少年に、気まぐれで肉を差し出す。
「ほら、あーん」
「!」
 再び頬を染めて心底嬉しそうに肉を食べる目の前の少年は、あのカップルに溺愛されているのがはた目から見ても一目瞭然で、それはこちらをも幸せな気持ちにしてくれるような表情だった。
 彼の皿に残っているにんじんのグラッセを貰い食事を終わらせた私は、皿を洗い始める。
「手伝う!」
 隣に立ち、カップを洗い始めたアルトに、私は声をかけた。
「街に用事がある。まだ用があるのなら、お前はここにいなさい」
「ついてく!」
 言うと思った。私は自分のうさぎのような耳を触りながら、必死に言い訳を考えた。
「いっぱい歩く。お前の体力じゃ持たないだろう」
「いま元気いっぱいだから平気」
「私は歩くのが早いぞ。迷子になるかもしれない」
「迷子にならないように頑張る」
「えーっと……」
 適当な言い訳は尽きた。この子は頑固だし、連れて行くしかあるまい。
 皿を立てて置いて、手をタオルで拭いた私は観念して、アルトの綺麗な紫色の髪を撫でた。いくら撫でつけても飛び跳ねている、本人よりも頑固な毛は、頭を撫でるたびにふわふわ揺れる。
 心地よさそうに頭を差し出すアルトを思う存分愛でてから、私は出かける支度を整えた。


 プロンテラの街で買い物を済ませた私は、北のほうにあるベンチに腰掛けた。
 その隣に座るアルトに、先ほど買ったリンゴを渡す。
「疲れたし喉も乾いただろう。食べるといい」
 自分の分も出した私は、そう言ってからリンゴにかぶりついた。
 このリンゴはなかなか旨い。自分の目利きも捨てたものではない。
 私と同じようにリンゴにかぶりつくアルトだったが、一口が私に比べて小さい。食べるのにかなり時間がかかるだろう。
 だが、食べるのを急がせて喉に詰まらせでもしたら大変だ。彼を急がせないように、リンゴを食べるのをやめて、私は空を見上げた。綺麗な青空だった。
「お前はどこに住んでいるんだっけ」
「ゲフェンだよ」
 なるほど。あのカップルはマジシャンである子供のためにゲフェンに居を構えたか。いかにもあの二人がしそうで、私は思わず笑みをこぼした。
「でもさ、ママがお小遣いあまりくれないから、カプラ転送全然使えなくて。毎日ルアムに会いたいのに」
 この子のベースレベルは低い。道を辿ってプロンテラに来るのは、彼には現実的ではない。カプラ転送に頼らざるを得ないが、お小遣いがないのでここにあまり来れない。彼が私を訪ねてくる頻度がそう多くないのは、そういうことだったのか。
 まぁ、それは判った。判ったが……。
「なぜ私に会いに来る? 私はすごい冒険者でもなければ、いい鍛冶師というわけでもない。お前が私から得ることはなにもないだろう」
 彼は心外だ、という顔をこちらに向けた。そのすぐあとに、頬を膨らませ、不満をあらわにする。
「好きな人に会いに来ることって、ダメなことなの?」
 その言葉に動揺し、私は手に持っていたリンゴを落とした。勿体ない、と思うこともできず、アルトの放った言葉の意味を考える。
「す……き……?」
 声に出して確認する。私の声は震えていたが、アルトと同じ言葉を言えていたように思う。
 好き。
 いま私に対して、好きだと言ったか、この子は。
 いや、好きにもいろいろある。この子の言っているのは友愛だ。きっとそうに違いない。動揺している私がおかしい。
 早鐘を打つ胸を落ち着かせて、私はリンゴを拾って、空いている袋に突っ込んだ。
「そうか。それは嬉しいよ。ありがとう、アルト」
 私は平然と言えているだろうか。それしか考えられなかった。
「……ん」
 そればかりが気になっていたから、アルトの表情に影が落ちたのには、しばらく気づかなかった。
 しばらく無言でリンゴを見つめていたアルトは、急くようにリンゴを平らげた。
 そして、下を向いて黙り込む。
 そこまできて、私はようやく、アルトの様子がおかしいことに気が付いた。
「どうした?」
「……ルアム。歳いくつだっけ」
 急な質問に困惑しながら、私は自分の年齢を口に出した。
「34歳だ。冒険者としては遅咲きだな」
「二倍かぁ……」
 最初、なんのことを言っているか判らなかったが、それが本当の年齢差であることに気が付いて、私はおどけて言った。
「私の年齢だと、お前くらいの子供がいても不思議ではないな」
 その冗談は、見事に滑った……らしい。この少年はくすりとも笑わず、下を向いたまま再び黙る。
 なにか話題を探そうとした私の手に、アルトはその小さな手を乗せた。細かく震えて、少し冷たい手は、私の手を必死でつかむ。
「……結婚するのかな。いつか」
「相手がいればするんだろうな」
「子供とか……考えたり……?」
「それも相手次第だが……まあ」
 相手……次第……。
 うわごとのように言うアルトは、顔を上げる。蒼白、と言ってもいいくらい青ざめた顔の彼は、目には涙を浮かべていた。
「オレ、そうしたら……もう……会っちゃいけないよね……」
「友達と会うのに、恋人の有無とか関係あるのか?」
 ともだち……かぁ……。
 呟いたアルトの目から、大粒の涙がこぼれた。
「アルト?」
 顔を覗き込む私を、彼は拒絶して背中を向けた。しゃくりあげるアルトに触ることもはばかられて、私の手は不自然な位置で静止する。
「アルト、どうした」
 置いてきぼりの私に、アルトはぐすぐすと雑音交じりに言う。
「好きって……そういう意味じゃないもん……っ」
 その言葉の意味は、殴られたような衝撃だった。先ほどの動揺が、私の中に戻ってくる。
「やだ……っ。そんな言葉……聞きたく……なかった……」
 かわいらしい高い声が細かく震えてかすれている。
「判ってたけど、勇気出したけど、ダメだと思ってたけど」
 アルトが勢いよくこちらを向いて、私にしがみついた。
「それでも、やっぱり、全然相手にされてないって知るのは……キツイなぁ……!」
 この子を慰めるのは簡単だと判っていた。肩を抱いて、それだけでいい。
 けれど、それは彼を騙すことになる。そして、自分の心をも。
 私はなにもできず、こう言うしかなかった。
「カプラまで送ろう。ゲフェンに帰るんだ。そして、もう私には会うな。判ったな?」
 頷いた彼の手を引き、近くのカプラへ連れて行く。
 転送料は私が支払って、カプラの転送機に彼を立たせた。
「……オレは」
 消えざま、私の方を振り向いたアルトは口の形だけでこう言い残した。
『それでもキミが好き』
 光が収まってきた転送機を見て、私は届かない言葉を、本当の想いを、口に出した。
「私もお前を好いているよ」

 ただそれは。
 伝えては、いけない。